浦島たろこさんは虐待サバイバー

妊娠出産を機に自分が虐待されていたことに気付き、うつ病になってしまった二児の母です。過去のトラウマとうまく付き合っていくために、自分の素直な気持ちや日常を綴ります。

公認朗読者にまつわる葛藤


私は自分の感情を感じ取ることが苦手です。


人に気持ちを伝えることはもっと苦手です。


このブログは自分の素直な気持ちに気付いたり、吐き出したりする為の練習の場所だと思っています。


この記事も、自分の素直な気持ちを書き留めておきたくて投稿しました。


誰かを非難したり、攻撃するつもりで書いたのではありません。




ブログを作った理由は前述の他に、もう一つ動機がありました。



それが親への手紙の公認朗読者になりたいというものでした。



ただ、虐待サバイバーと顔出しで宣言することはデジタルタトゥーになるのではないか、将来子供に迷惑をかけてしまうのではないかという不安がありました。


あと「これって虐待サバイバーの搾取なのかな?」ともちょっと思いました。


その為ツイッターを始めたり、ブログを書いたりしながら、それでも公認朗読者になりたいと思ったら応募してみようと考えていました。


そして最近、気持ちの整理がついたので、応募をしました。



というのも「日本一醜い親への手紙」を読み、手紙を書いた人達をとても愛おしく、誇らしく感じたからです。


子供でも読めるようにという配慮から、あえてそのような編集をしているのかもしれませんが、手紙の文章は全体的に拙い印象を受けました。


虐待された人の中には、とても勉強できるような環境に置かれず、常識を身につけられなかった方も多いと思います。


そういう人達に社会や親に向けて自分の苦しみを訴える為の、手紙という「言葉の武器」を与えたことはこの本の大きな功績だと、私は感じています。




SNSで私が公認朗読者になったことを知り、心配してくれた方達がいました。


それを知った時、私はどうしよう、失望させてしまったのかなと動揺しました。


1番苦しい時期に支えてくださった方々なので、そういう人達をがっかりさせてしまうくらいならもう公認朗読者なんてやめちゃおうかなとも。


こういう風見鶏のような自分がとても恥ずかしいです。



私は弱く、勉強不足です。でも今どうしても公認朗読者になってみたかった。なので後で自分ががっかりすることになっても、やってみたいと思います。




話は全く変わるのですが、「薔薇門」というレコードをご存知でしょうか?

詩人の寺山修司が差別に晒される同性愛者の訴えに賛同して、製作した音楽作品です。

音楽的にも同性愛者への差別を理解する上でも素晴らしい作品です。

私は「日本一醜い親への手紙」はこのレコードにどこか似ているなと感じました。

ただ、寺山修司と参加者達は後に袂を分かっているようです。



私もなんだか違うなと感じることがあれば、その時は公認朗読者をやめさせていただくつもりでいます。



もし今さんがこの記事を読まれていたら、失礼なことを色々書いてしまって、申し訳ないです。



自分自身と、心配してくださる人のために今の素直な気持ちを書きました。

蛙の子は蛙、毒親の母は毒親

前回、鬱の引き金についての記事で出産のことを書きました。



この1人目出産には他にも2つの騒動があり、それが現在の私に心に大きな影を落としています。



その騒動を記事にする前に、まず祖母について書いておきたいと思います。




祖母について私はこれまで「これほどまでに肉親に愛情深くあたたかい人はいない」と思ってきました。


今は祖母について「身内に異常に執着し、支配しようとする自己中心的で思いやりのない人」だと思っています。


私が祖母を慈愛に満ちた人だと思っていたのは、母の受け売りでした。




祖母には母を含め子供が3人います。


普通の母親なら兄弟が仲良くしてくれることを望むでしょう。


しかし祖母はそうではなく、常に子供達が自分を取り合って争うように仕向けているのです。


「兄ちゃんがお前をこんな風に悪く言ってたよ」と母に吹き込んで、あたかも母の唯一の味方であるように振舞いながら、兄である叔父の前では手のひらを返して母に冷たく当たるのです。


母はその度にヒステリーを起こし、叔父や祖母に暴言を吐いては呆れられ、また反省するというのいまだに繰り返しています。


60歳を超えた兄弟が母親の愛情を奪い合う様は、見ていて異様です。



子供に暴力を振るうことに対しては全く罪の意識がない母ですが、祖母にキツくあたることには強い罪悪感を感じているようです。



母は完全に祖母の毒に支配されていて、それに気付くことすらなく生涯を終えるのだと思います。



時々母もまた被害者なのかと考えると、誰に怒りを向ければいいのかとやり切れなくなってしまいます。



父と母、どちらをより憎悪しているか※フラッシュバック注意

父はキレると手がつけられない人。 


包丁を振り回したり、灯油をまいて家に火を付けようとしたり。車でわめき散らしながら暴走したり。


直接的受けた暴力は少ないですが、数え切れないほどの怖い場面を見せられました。




父と母、どちらがより憎いかと問われれば、やはり日常的に暴力を振るわれた母の方が私は許せないです。



私にも痛いとか悲しいという感情があることを母はまったく理解できていなかったように思います。




馬乗りになって散々殴り、罵倒してすっきりすると母はいつもゲラゲラと笑い出しました。


「ごっめーん、痛かった?ねぇねぇ、痛かった?ごめんねー」


そう言って舌を出し、おどけるのです。(思い出すだけで、はらわたが煮えくり返ってくる)


こちらは痛いし、泣きじゃくった後ですから、急に気持ちを切り替えられるわけがありません。


でも、そこで泣き続けたり拗ねた態度を取ると「いつまでもグズグズ泣きやがって!謝ってやったのに!下手に出てるからって調子に乗るな!」とまた殴られます。


母は人格障害なのだと思います。

令和になったけど決意とか抱負とか特にないです

平成最後の昨日はいつものようにイライラし、子供を叱り、自己嫌悪に陥って泣いた。

子供たちを9時に寝かしつけ、寝落ちし、夜中の2時に目が覚めた。


耳鳴りはいつものことだけど、寝起きは特にひどい。


当たり前だが令和になっても、耳鳴りが治るわけではない。




昭和のおわり、私は小学1年生だった。


歯の生え変わる時期で、ぐらぐらしている乳歯を舌で触っては、抜ける日を楽しみにしていた。


抜けた歯を屋根の上に投げると丈夫な歯が生えてくるらしい。

そんなジンクスを信じて、歯を投げる日を心待ちにしていたのだ。



そんな時、学校のテストでとても悪い点を取った。私は時計を読むのがどうにも苦手で、5時ちょうど、とか3時半、みたいな分かりやすいもの以外は全部間違えていた。


その夜、母は私を殴り蹴り髪の毛を引きずって時計の読み方を教え込んだ。


間違えるたびに手が飛んできた。


そんなことをしていたら、ぐらぐらの歯が殴られた勢いで抜け、私は抜けた歯をそのまま飲み込んでしまった。 


歯が喉に落ちていく感触は今でもよく覚えている。




昭和が終わり、平成が終わり、令和になっても私は過去の虐待を思い出し続けると思う。


両親や親戚を憎み、ぐちぐち言い続だろう。


「過去は忘れなさい」なんて言ってくれる人もいるけど今は無理だ。


思い出して思い出して思い出しながら、前に進む道を探っていきたい。


思い出すことが今は必要だと思うから。