浦島たろこさんは虐待サバイバー

妊娠出産を機に自分が虐待されていたことに気付き、うつ病になってしまった二児の母です。過去のトラウマとうまく付き合っていくために、自分の素直な気持ちや日常を綴ります。

パーフェクト家族という幻想



720日に「日本一醜い親への手紙」朗読会に参加しました。


https://child-rights-nagoya.blogspot.com/2019/07/blog-post_49.html?m=1

朗読会の模様が読めるブログです。



その際、参加者全員の自己紹介の時間があり、自身の家族関係について、1人ずつ話してもらいました。


虐待されずに育った方の家族の話を聞いた時、私なりに気付いたことがありまして、うまくまとめられるかわかりませんが、ちょっと書いてみたいと思います。



それは、虐待されていない人が自分の家族に満足し、常に幸せを感じているかといえば必ずしもそうではないんだという発見でした。



自己紹介の中で何人かの方が、親をわずらわしく感じたり反発していた時期があったと話してくれました。


100点満点の家族なんてものはそうそうなく、80点、もしかしたら70点。


家族といえどもそれぞれが意思を持った人間ですから、時に衝突し合って、まぁしょうがないかと妥協していくのが家族の本来あるべき姿なのかなと感じました。


家族は許し合うもの、なんて言葉もありますが、不平不満も含めて「家族」なのかもしれません。


この「家族は許し合うもの」というのをはき違えて、子供を否定し、意のままに操ろうとするのが虐待なんだと思います。


私は勝手に、というか無意識のうちに「普通の家庭はめちゃくちゃ愛に溢れていて、超幸せなんだ」と思い込んでしまっていた節がありました。

だから世の中に対してひねた態度を取ってしまったり、被虐体験のない人に「あなたには素敵な家族がいるんでしょ」と嫉妬を感じてしまうんだと思います。



そしてもしかしたら、普通の家庭で育った人の中にも「よその家庭はめちゃくちゃ愛に溢れていて、超幸せなんだ」と思い込んでしまっている人がいるのかもしれません。



というのも、世の中には「美しい家族像」なるものが溢れかえっています。

芸人〇〇さんを支えた母の言葉、感動のエピソードなどという家族がらみの美談はネットを漁ればこれでもかとばかりに出てきますし、朝の連続テレビ小説などに登場する家族は大抵、主人公にとても理解があります。(全員という訳ではないですが、家族の誰かしらは主人公の味方です)


メディアによって作られた「美しい家族像」を虐待サバイバーもそうでない人も「実在する家族」として信じ込んでしまっているのかもしれません。



被虐体験を普通の家庭で育った人に打ち明けた時、「うちも似たようなものだよ」と返されて落胆する。

虐待サバイバーには、こんな経験が1度くらいあるのではないでしょうか。


なぜこんな答えが返ってくるのだろう?

なぜ虐待される辛さを分かってもらえないのだろう?


ずっと疑問だったのですが、被虐体験のない人にも多かれ少なかれ自分の家族に不満があるからなのかもしれません。

だからこそ、ドラマや小説には美しい家族の愛が描かれて、人々は感動し、憧れを持つとも言えるでしょう。



そんなことを思った朗読会でした。



朗読会で母の手紙を読んだことがきっかけだったのか、自殺念慮が戻ってきてしまい、しばらく虐待について考えるのをやめてだらだら過ごしました。


そうしている間にも朗読会にまつわる個人的な発見があったので、また記事にしたいと思います。